40と言えば、論語でいえば「不惑」の歳。皆さんご存じのように、この年孔子さんは「狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなった」そうです。
これは、論語の「論語 〔為政第二〕」というものに書かれているもので、孔子さんがそれぞれの歳にどうなったかを綴ったものです。おはずかしながら、私は「それぞれの歳にこうなっているべきだ」という教えだとばかり思っていました。
この〔為政第二〕というのには、ご存じのように他のことも書かれているのですが、人の言っていることを全て受け入れられるには、孔子さんでも60にならないといけないようで、到底私には程遠い・・・。
今回の誕生日はと言えば、仕事で福山開発センターに行っていたわけですが、社員の皆さんが独り身の私を気遣ってくれ、誕生日を祝ってくれました。
40ともなると、正直ちょっと照れ臭いですね。ケーキの「40」が妙に哀愁をそそりますが、ろうそくの火を吹き消すのも、思えば何年ぶりでしょうか。ここ数年誕生日といえども仕事に明け暮れ、祝ってくれるものといえばSPAMメールがほとんどで、まぁ、あまり誕生日的な行事は無かったので、ちょっとハッピーな気持ちになるものです・・・。
さ、今年はどんな年になるか・・・。
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